神に挑戦した交響曲〜モーツァルト「ジュピター」

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こんにちは。耳澄みみすまし@siegmund69)です。

先日のらららクラシック(2020年7月17日放送)でも取り上げられたモーツァルトの交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」。
私も先日鈴木優人&読売日本交響楽団の特別演奏会(2020年7月5日)でこの曲を堪能しました。
今回はこの曲の謎を紐解きながら、鈴木優人&読響演奏会の様子や私のお気に入りの録音などを紹介できればと思っています。

モーツァルト41番交響曲「ジュピター」 
女性画家ドーリス・シュトック(Dorothea Stock)が1789年に描いた最晩年のモーツァルトの肖像画をモチーフに、今回のお題をテーマにした現代アート風のアイコンを作ってみました。©️2020 mimisumashi

古きを訪ねて新しきを知る

Twitterの若いフォロワーさんが、クラシック音楽の古い指揮者ばかり聴いていることに逡巡している呟きをみました。

昔の自分を見ているようで微笑ましいです。
何を隠そうハタチ前後の時には、君よりもっと懐古趣味だった私。

学生時代はご多分に洩れず、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュを集めては聞き、ボダンツキーやロジンスキーそしてフリッツ・ブッシュにハマっていた時期もありました。
この懐古趣味は大学の専攻にまで及んでいましたし、好きな映画も無声映画の特集になると喜んで遠出したぐらいでした。

「失われたもの」への憧れが強かったとのと、現代のスマートなアートに反感したくなる若気の至りもあったのかもしれません。
でも、それが間違いだったとか失敗だったとは今でも思っていませんし、むしろ若い時に知っておいてよかったと思っています。

無邪気にフルトヴェングラーやワルターを語れるうちが華なのです。
訳知りなオヤジが偉そうに語るほうが、醜悪かもしれませんね。

「ジュピター」の正体?

前回の寄稿で鈴木優人&読響による特別演奏会でのマーラーのアダージェットについて語りましたが、今日はその演奏会で酉を飾ったモーツァルトの「ジュピター」について書いてみたいと思います。

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というのも、この曲はそのニックネームが語るように「偉大」なイメージと、曲が内包する高い熱量ゆえに、良くも悪くも誤解されている名曲なのではないかという、疑問が湧いてきたのです。

常軌を逸した作品

モーツァルトの41番交響曲は、
「(モーツァルトは)王侯や神々への連想がある祝祭的なハ長調交響曲の典型をつくることにあり、この枠組みを極限まで労作し尽くすことだっただろう」(森泰彦)と見るべきなのでしょう。
しかしその極限まで労作した結果として、ニール・ザスロウが自著「モーツァルトのシンフォニー コンテクスト・演奏実践・受容」(日本語訳は東京書籍刊)で語るように「常軌を逸した作品」なのではないでしょうか?

モーツァルトのシンフォニー コンテクスト・演奏実践・受容
モーツァルトのシンフォニー コンテクスト・演奏実践・受容」ニール・ザスロウ(2003年東京書籍刊)著者所蔵

安田和信も、
「セリアとブッファのせめぎ合いから、ロマンティシズム、宗教的感情までをも含む古典派音楽の一大パノラマ」
「これほどまでに多種多様な性格、トピック、書法、様式を一つの交響曲に盛り込むことも珍しい」
「性格の不統一を理由に批判されることもあったモーツァルトではあるが、私見では《ジュピター》は支離滅裂すれすれのところで危ないバランスをとっている」
と語っています。

究極のオーケストラ超名曲 徹底解剖66
安田和信氏の記述は「究極のオーケストラ超名曲 徹底解剖66」(音楽之友社刊)より 著者所蔵

彼らの言う異常性とは何なのでしょう。もっと具体的にそれを引き出してみましょう。

第1楽章:セリアとブッファ

あの威厳あるオペラ・セリア的な出だしに対して、K.541のアリア「手に口づけすれば」の喜劇的なブッファアリアが引用されます。

「以前には別々だったジャンルを混ぜ合わせて生じた、新しい混合ジャンルである」
「この革命家(モーツァルト自身?)は、セリア的人物たち、ブッファ的人物たち、中庸の人物たちの中へ入ってゆき、感情を突然爆発させ、意表をつく転調を行い、管楽器を雄壮にオーケストレーションし、そうして、あまりにも快適なものと受け取られている社会の真実に、一撃を浴びせることを楽しんだのである」(ニール・ザスロウ)

「二つのブッファ(的)主題の間には、神の怒りか天変地異が起こったように激しい性格の楽節が置かれている。属調域はいわばブッファのなかにセリアを抱え込むという『矛盾』を孕んでいると言えるだろう。こうした事態こそ『性格の不統一』のインターフェースに繋がっていくものである」(安田和信)

モーツァルト:交響曲第41番第1楽章64小節
モーツァルト:交響曲第41番第1楽章64小節目〜の第2主題後半(これは二つのブッファ主題のその1)
ファゴットが弦と合わせることで、ちょっとユーモラスな感じになる。
モーツァルト:交響曲第41番第1楽章103小節
モーツァルト:交響曲第41番第1楽章103小節目〜二つのブッファ主題のその2
これもファゴットが弦と合わせることで、ちょっとユーモラスな感じになっている。
モーツァルト:交響曲第41番第1楽章81小節
モーツァルト:交響曲第41番第1楽章81小節目の突然の短調の転調。それもティンパニーとトランペットが轟く激しさ。
二つのブッファ旋律の間で突然の癇癪?を起こす音楽

第2楽章:明朗な歌と最大級の悲痛

「アンダンテ・カンタービレは、感動的であるばかりでなく、人を深い不安に陥れる」(ニール・ザスロウ)

「明朗なカンタービレがこれ以上は考えられないほど悲痛な叫びに中断され、対比の極端さは最大級と言って良い」(安田和信)

「半音階とシンコペーションが音楽を浸蝕し、4分の3拍子のリズムも度重なるヘミオラによって崩される」(森泰彦)

モーツァルト:交響曲第41番第2楽章第24小節
モーツァルト:交響曲第41番第2楽章第24小節目〜ヘミオラによって3/4拍子が乱され、
fとpの繰り返される否定あるいは痛みが悲痛な短調を掻き立てていく。

第3楽章:メヌエットに不気味な影

「ギャラントな外観の下で、たくさんの対位法と主題の複雑な絡み合いが不安そうにざわめき、いつか表面を壊そうと威嚇するのが聴こえてくる。」(ニール・ザスロウ)

「メヌエット楽章としては意外性に満ちた開始をもつ第3楽章では、同じ半音階の動きがユーモアの世界を切り開く」(安田和信)

「祝祭的な楽器編成と調性に不気味な半音階と和声が影を投げかけるメヌエットと、いわば終わりから始まるユーモラスなトリオ。文脈から外れたトリオ後半での短調の爆発は意外も意外も」(森泰彦)

第4楽章 12音技法も?

「このモティーフ(注:ジュピター音型)が何を意味していたのかの一端を示唆するのが《ミサ・プレヴィス》へ長調K.192=186fである。この作品中の『唯一の神、全能の父を〔信ず〕』という歌詞を繰り返す部分は、《ジュピター》のフィナーレでこのモティーフが繰り返される部分と密接に関連している。すると《ジュピター》には、モーツァルトのクレド〔※信仰告白〕が含まれているのだろうか?」(ニール・ザスロウ)

「第4楽章は対位法を徹底的に活用する。コーダでは、それまでに提示された5種の素材を使って順列フーガのような展開が大円団をもたらすのである」(安田和信)

「(展開部での真の展開は)ジュピター音型のみの上行ゼクヴェンツ、それに2音時間差を置いたこの音型の五度下方のカノン(3全音間隔でのバスの半音下行、木管の半音階上行と合わせると、ほとんど12音技法)」(森泰彦)

モーツァルト:交響曲第41番第4楽章第243小節
モーツァルト:交響曲第41番第4楽章 展開部第243小節目〜 
上行と下行の半音階が重なりに重なって現代音楽聴いているような響き(正にこれは12音技法的!)

統一的交響曲の誕生

そして極めつけは、この交響曲全体の構造を指摘したこれだと思います。

「この交響曲の重点は無論、第4楽章のフガートにあり、その主題は第1楽章第2主題、第2楽章第1主題、第2主題、第3楽章トリオにあらかじめ埋め込まれている」(竹内ふみ子)

モーツァルト:交響曲第41番第4楽章の冒頭
モーツァルト:交響曲第41番第4楽章の冒頭のいわゆるジュピター音型
モーツァルト:交響曲第41番第1楽章冒頭
モーツァルト:交響曲第41番第1楽章冒頭に埋め込まれたジュピター音型。
モーツァルト:交響曲第41番第2楽章冒頭
モーツァルト:交響曲第41番第2楽章冒頭に埋め込まれたジュピター音型
モーツァルト:交響曲第41番第3楽章トリオ9小節目
モーツァルト:交響曲第41番第3楽章トリオ9小節目からジュピター音型そのものが埋め込まれている。
しかしこの突然の悲痛な短調は唐突だ。
モーツァルト事典
竹内ふみ子の記述は、「モーツァルト事典」(東京書籍刊)のp.300より。
モーツァルト探求
竹内ふみ子の記述はこの「モーツァルト探求」(音楽之友社刊)に収載されているヨハン・ネーポムク・ダーフィット「ジュピター交響曲–その主題および旋律的連携に関する研究」を参考にしたと思われる。

つまりこの交響曲は「性格の不統一」であると同時に、全ての楽章がジュピター音型に支配された「統一的交響曲」でもあるのです!!

どうでしょう?

この交響曲の威容と稀に見る熱狂の陰には、これほどまでに凝りに凝った、18世紀の枠組みを越えようとする野心的な試みが秘められているのです。

忘れがたきジュピター

ブリュッヘンの会心作

仮にこれが18世紀の音楽を揺り動かすような野心的作品とするならば、それに相応しく大胆に振る舞う演奏があっていいと思うのです。

その点で最も琴線に触れたジュピターの一つはフランス・ブリュッヘン&18世紀オーケストラのアルバム(1986)でした。

この録音の衝撃は、それまで古楽器といえば良くも悪くも清涼感漂う爽快なテンポが一種の売りだったのが、楽想に応じて粘る時は粘る、そして優雅なモーツァルトを時には捨てて激しい感情を振る舞う表現主義的な演奏だったことでした。

例えば第4楽章の展開部!
その出だしの凄まじいティンパニーの一撃に始まり、森泰彦氏が指摘した12音技法に接近する箇所では、それを強調するかのようにテンポを落としたりと、とにかくあの手この手でこの「常軌を逸した」スコアを炙り出すのです。

ブリュッヘン 18世紀オーケストラ モーツァルト 交響曲第41番
このオリジナルのアルバムにカップリングされている歌劇「皇帝ティトゥスの慈悲」序曲がまた凄まじい迫力で、
最後の終結はもしかしたらジュピターを凌ぐ圧巻の音楽。

アーノンクールの快挙

もう一つ素晴らしいアルバムがあります。
1992年に発表されたニコラウス・アーノンクール&COE(ヨーロッパ室内管弦楽団)による後期三大交響曲のライヴ盤(1991)です。

アーノンクール ヨーロッパ室内管弦楽団 モーツァルト 交響曲第39番 第40番 第41番
この2枚組のCDは廃盤とのことですが、長く聴いてほしい本当に素晴らしい名盤です。

虎の威を借りるわけではありませんが、
「モーツァルトがこの三部作に込めた技術と感情の止揚を、ドラマティックに抉り出した超名演。(中略)いわゆる「決定盤論争」は個人的には無意味に思えて、あまり好きになれないが、この演奏はまさに「決定盤」であると、はっきり断言したくなってしまう。モーツァルトを真摯に聴きたい人がこれを聴かないのは罪である」(安田和信)

この讃辞は私の言わんとしていることをそのまま表しています。

激しいコントラストを際立たせた旧盤のRCO盤に比べてやや大人しくなったとは言うか、彼にしては中庸の美を保っていますが、基本的な表現は似ています。
むしろテンポ感がよりスムーズで流れの良い演奏に仕上がっており、HIP(Historically Informed Performance歴史的情報に基づく演奏)志向のモダン楽器演奏の中では、ジュピター演奏史に残る輝かしい一枚だと思います。

アーノンクールに関しては、その後2006年のウィーンフィルとの来日公演で新たなジュピターを聴かせてくれましたし、晩年には手兵のCMWと後期三大交響曲を再々録音して、更に進化した解釈を披露するなど、彼の「ワーク・イン・プログレス」は興味が尽きませんが、それはまた別の機会に語りたいと思います。

鈴木優人&読響

ところで、鈴木優人&読響(2020年7月5日)の演奏で最も印象に残ったのも4楽章の展開部でした。

それまでの楽章も悪くはないのですが、バッハ・コレギウム・ジャパンで培った知見が積極的に反映されているようには思えない、表現がやや手探りというか突破しきれていない部分がある様に感じたのです。

ところが終楽章、それも展開部からは本当にワクワクする様な瞬間が幾度もやってきたのです。

例えば、例の展開部の12音技法的混乱。
これを打ち払うかのようなファンファーレに続く、へ長調をベースにしたホルンの全音符によるF→E→Dを目一杯吹かせて、音楽が解決する爽快感!

モーツァルト:交響曲第41番第2楽章第251小節目
モーツァルト:交響曲第41番第2楽章第251小節目〜 現代音楽のような混迷を打ち消すファンファーレ

あるいは音楽が熱量を上げながら次第に切迫し、1stVnが高いEsまで登りつめてテンションがマックスになったところで、ホルンとラッパによるハ長調の付点のファンファーレで解決され、その付点のリズムが低弦→ティンパニーへ受け継ぐ箇所で強いアクセントで強調するところの快感!

モーツァルト:交響曲第41番第2楽章第326小節目
モーツァルト:交響曲第41番第2楽章第326小節目〜
へ長調から不協和音が噛んで緊張が増しに増す。
モーツァルト:交響曲第41番第2楽章第332小節目
モーツァルト:交響曲第41番第2楽章第332小節目〜
その緊張がハ長調のファンファーレで解決!

ワルター&NYP盤の現代性

こうしたスコアへのワクワクした取り組みで、ふと思い出したのは、意外や意外、ブルーノ・ワルター&NYP盤(1956)なのです。

ワルター ニューヨーク・フィル モーツァルト 交響曲第38番 第41番
このジャケット、オシャレで美しいですよね、

戦後まもない頃のワルターはまだ戦前的な演奏様式が残っており、基本設定のテンポ感は速い楽章ではかなり速く、フレージングは明晰ながら、いわゆる「ロココ調モーツァルト」のような優美さ一辺倒ではなく、モーツァルトの革新性や劇性を積極的に露わにするスタイル。
戦後の演奏様式に変化した後年のコロンビア響の録音よりは、遥かにHIP志向に接近したような表情を見せているので、私はこの情報量の多い演奏が大好きです。


懐古趣味に溺れていた学生時代によく聴いたこの名演奏は、
今でもアクチュアルなものを語りかけていたのです。

古きを訪ねて新しきを知る、ですね!

ブルーノ・ワルター/モーツァルト:交響曲第39番 第40番&第41番「ジュピター」<期間生産限定盤>
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神番組!

蛇足ですが、この交響曲の凝った作りに関しては、以下の番組が大変わかりやすく説明しています。

中でも終楽章のコーダの「順列フーガ」(そもそも順列フーガって何だ?となりますよね)をこれほどわかりやすく説明したものはないです。
そして終楽章を構成する5つのモチーフ・素材が同時に全て鳴るという離れ業も行なっていますが、これについても説明されています。
未見ならば是非オススメします。
この伝説的?な番組「名曲探偵アマデウス」にあって神回だと思っています。

クラシックミステリー名曲探偵アマデウス File.33 モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」

ところで、ブルックナーの8番交響曲は全楽章に渡って1楽章の主題の変容によって構成されており、終楽章のコーダで全楽章の主題が同時に鳴ることも含めて、ジュピターに由来しているのではないか?と私は妄想しております。

これについてはまた近く書いてみたいと思っています。
ではまた次回!

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